おしえてムーラン

経済的不安と向き合う~政策と個人の意識~

先月から消費税が上がりました。消費税がアップしたことで私たちの生活で使うことのできるお金=可処分所得が減少したのは確かです。今夏の“2000万円問題”に象徴されるように、経済的に不安を抱えている人は増えています。

先進国の経済政策の基礎

先進国の経済政策は基本的にはケインズの提唱した近代経済学の考え方に基づいています。ケインズの考え方は“需要が国民所得を決定する”というものであり、“消費は美徳”とやや揶揄を含んで言われることもあります。経済学には論理を展開する前提がありますが、古典も近代も「人間は得られる財貨等は量が多いほうを選好する」というものです。確かに“金はジャマにならない”とも言われますし、テレビのバラエティ番組でもセレブと呼ばれる人たちを羨望するかのような作り方をしているのを見ると、そうした傾向は強くあると思います。ケインズの考えに、ある産業Aの活況→その産業従事者Aの所得増→その産業従事者Aの消費増→Aの消費による産業Bの活況…というように経済効果は波及するという“乗数理論”というものがあります。また政府支出相当額だけ国民所得は増加する、所得税は景気のブレ幅を小さくする安定装置の役割があるなど、一理あるけどちょっと楽観的じゃないかなと思うものが多いように感じます。

消費を分類して考えてみる

なぜ人はお金持ちを羨ましがるのか?お金持ちになって何をしたいのか?―このような問いに多くの人は「当り前じゃないか」という直感と「お金の所有度合いと人間としてのすばらしさ」や「人間としての幸せ」は必ずしも一致しないという直感を両方感じるのではないでしょうか。そもそも、なぜ、より多くのお金が欲しいかと考えれば、消費の選択肢が増えるからに他ならないと思いますが、“消費したい”理由を考えてみたいと思います。必需品―即ち衣食住のお金は、なくてはならないものです。ただし、今回の消費税の軽減税率にも反映されたように、必需と贅沢を大別することができます。必需はその名の通り、それなしには生きていけませんが、外食をしなくても死ぬことはありません。服は着ないと寒かったり、着ずに出歩けばむしろイケナイ犯罪となりますが、ブランド品を纏っていなくても、体調を崩したり、警察に捕まることもありません。でも人間は“ちょっといいモノ”を欲しがる傾向があるようです。

なぜ人は贅沢したいのか

私見ですが、端的に言ってしまえば“人に認められたいから”だと考えます。人には承認欲求があることは知られていますが、“こう見られたい”“こう思われたい”という自分の外から判断されるものに対する意識があります。ブランドものを持つ必要はなくても、高級車に乗る必要はなくても、意識するしないにかかわらず、承認欲求が少なからずあると思います。

贅沢は悪か?消費は美徳か?

承認欲求は過剰になると、端から見てみっともないものになりますが、人に喜ばれること、役に立つことをやろうとする動機付けという良い役割を果たすこともあります。程度を知りながら行うと、人間的な可愛げとなります。消費は美徳と断言することはできませんが、消費は経済環境の根幹であるこには違いないと思います。

最後に

承認欲求を考えたとき「良い服を着ること」と「人の役に立つこと」とどちらが自分の未来のためになるだろう―という視点で考えてみると、合理的な消費、意欲ある仕事に結びつくような気がします。意欲ある仕事で生産性を高めれば、経済にも良い影響が波及するということになります。政策などの仕組みは当然に大事なのですが、ひとりひとりが人間というものの行動形態とその行動を引き起こしている根っこを考えることが不安を根本から無くすことにつながると思います。

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